終戦記念日

本日は66回目の終戦記念日。
杉並区役所のロビーでは、

「原爆と人間展」が行われていた。


原爆の悲惨さを語り継ぐことは大切。
でも、それと同じレベルで戦争へと

導いた(導かれた?)日本国の総括も

して欲しいと思う。


まぁ、所詮は庶民というものは無力で

振り回されるだけ
なんだろうけどね……。

会場には、「焼き場の少年」のポスターが張られていた。
★写真はロビーで撮ったので、全体をちゃんと見たい人は画像検索してくださいね〜。

知ってる人もいるだろうけど、あらためて写真のことを書いておきます。

これは1945年の9月に長崎で写された写真。
米空爆調査団として日本を訪れていたジョー・オダネル氏が撮影したもの。

オダネル氏は1995年刊行の『トランクの中の日本』(小学館)で
つぎにように回想している。


「焼き場に十歳くらいの少年がやってきた。小さな体はやせ細り、ぼろぼろの服を着てはだしだった。少年の背中には二歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。その子はまるで眠っているようで見たところ体のどこにも火傷の跡は見当たらない。

 少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。わき上がる熱風にも動じない。係員は背中の幼児を下ろし、足元の燃えさかる火の上に乗せた。まもなく、脂の焼ける音がジュウと私の耳にも届く。炎は勢いよく燃え上がり、立ちつくす少年の顔を赤く染めた。気落ちしたかのように背が丸くなった少年はまたすぐに背筋を伸ばす。私は彼から目をそらすことができなかった。少年は気を付けの姿勢で、じつと前を見続けた。一度も焼かれる弟に目を落とすことはない。軍人も顔負けの見事な直立不動の姿勢で彼は弟を見送ったのだ。

 私は彼の肩を抱いてやりたかった。しかし声をかけることもできないまま、ただもう一度シャッターを切った。急に彼は回れ右をすると、背筋をぴんと張り、まっすぐ前を見て歩み去った。一度もうしろを振り向かないまま。係員によると、少年の弟は夜の間に死んでしまったのだという。その日の夕方、家にもどってズボンをぬぐと、まるで妖気が立ち登るように、死臭があたりにただよった。今日一日見た人々のことを思うと胸が痛んだ。あの少年はどこへ行き、どうして生きていくのだろうか。

この少年が死んでしまった弟をつれて焼き場にやってきたとき、私は初めて軍隊の影響がこんな幼い子供にまで及んでいることを知った。アメリカの少年はとてもこんなことはできないだろう。直立不動の姿勢で、何の感情も見せず、涙も流さなかった。そばに行ってなぐさめてやりたいと思ったが、それもできなかった。もし私がそうすれば、彼の苦痛と悲しみを必死でこらえている力をくずしてしまうだろう。私はなす術もなく、立ちつくしていた。」

この少年は、「よっちゃん」という名前だったらしい。
まだ御存命だろうか。

「誇り」「覚悟」「責任感」など、この写真から感じることは、非常に多い。
「よっちゃん」ほどには無理だが、自分も背筋が伸びる思いだ。

で、なんで区役所に行ったかというと、
ちょっといろいろ相談にね。